便利屋としての苦悩
便利屋という仕事は当然ながら『お客さんのご要望』にお応えするというのが仕事です。
私が12年前に京都市伏見区両替町で事業所を構え便利屋を始めた当初、私は幸いにもご近所の皆さまにとても良くしていただき、便利屋としての事業所を構え一番最初に仲良くしていただいたのは同じ町内に住む91歳のおばあちゃんでした。
彼女はとても元気でいつも明るく笑顔を絶やさない素敵な方でした。
『便利屋』などという何だかよくわからない訝しげな私に対しても偏見をもたず「おはよう!!」「こんにちは!!」「お疲れさま!!」と毎日声をかけてくださり、毎日のように店に遊びに来てくれていました。
彼女には娘さんが居られました。娘さんは高齢の母の独り暮らしは不安なので同居を希望されておられましたが彼女は一人で気ままに過ごしたいとのことで高齢にも関わらず一人暮らしをされておりました。そして娘さんもいかに元気とはいえ年齢が年齢なので頻繁に様子を伺いに来られておられました。
彼女は私によく日々の生活の中の困り事を相談してくれました。
『玄関戸の鍵が調子悪い』『部屋の照明の電球が切れた』『台所の蛇口からポタポタ水が出る』などなど
その度に私は出向き戸車の修理、電球の交換、蛇口のコマの交換などをおこなっていました。
その度に彼女は私に言いました。
「おにぃちゃん、ナンボ払ったらえぇ?」
その度に私は彼女に言いました。
「いらん。金貰うようなことしてへん」
そして毎回彼女に怒られるという。
「あんたがやってる何でも屋の仕事は困ってる人の困りごとを解決するのが仕事や!だからやったことに対しての代償は必ず受け取らなアカン!!」
独り暮らしの高齢者から、たかが電球1つ交換するのにお金請求するという苦痛をご理解頂けますでしょうか?
私が未だにこの仕事において割り切れない部分です。
と言っても横柄な態度で「電球交換頼むわ!あっ?そんなもんに金取るの!?」とか言われたら間違いなくブチギレますが。
仕事は仕事。
割切らなければいけないということを12年思い続けても未だに割り切れていないという。
これからもこのテーマと共に苦悩していくための備忘録です。
長々と書いた駄文にお付き合いいただきましてありがとうございます。